菊しょうゆ ラベル
江戸時代は「幾久志やうゆ」の名前で福井城下はもちろん、三国、敦賀、加賀まで広く販売しておりました。
幕末には、福井藩より、長崎の出島を通してヨーロッパに「幾久志やうゆ」・「菊醤油」が輸出されていました。
明治5年(1872年)岩倉具視、由利公正はオランダで、この「菊醤油」を確認しました。
しょうゆの看板(三国室屋蔵)
昔のラベル(室次のブランド名)
北前船「むろや丸」と「コンプラ瓶」
北前船「むろや丸」は、北は北海道から、南は長崎まで、福井の物産を運んだ。
三国内田家(室屋分家)は、この船を含め、5雙保有しており、当時としては有数の豪商であった。
また、コンプラ瓶は、輸出用の陶磁器の容器であり、幕末は1Lほどの容器であった。
写真は、明治~大正時代のコンプラ瓶で、主に、旧日本軍の鯖江連隊や敦賀連隊に納めた物である。