室次醤油醸造場
天正元年(西暦1573年)、柴田勝家が福井北ノ庄城下を作った時、北ノ庄上神明町(福井市田原、現在地)で、酒・味噌・糀業を始め、屋号を「室屋」としました。室屋創業。当時は酒の醸造が主で、醤油は味噌にたまる「たまり」を販売していました。
この地は、主要街道の北陸街道・三国街道が合流しており、北ノ庄城下の 物資の集散地で、特に、米・大豆・小麦などの商店を集めた所でした。また、後ろには、芝原上水が流れ、その一番末端に当たる為、特別に上水道以外にも、樽や桶の洗い水として使用する事を許されました(醸造に使う水は地下水)。元禄2年(1689年)2月には醤油の大量生産も始めました。醤油の醸造設備は、酒の醸造設備と同じで、酒の原料の「米」から、醤油の原料の「大豆」に変えるだけで、比較的容易に大量生産できました。醤油の屋号として「室屋」の「次左衛門」から、 「室次」とし、舟・大八車を使って、福井県内はもちろん、石川県大聖寺まで、醤油・味噌・酒を運びました。≪醤油屋の暮らし≫。